前回の記事で、1984年に松田聖子が音楽賞レースを辞退した理由について考えてみましたが、もし辞退していなければ、中森明菜との対決はどうなっていたでしょうか?
今回は、この点を考えていきます。
音楽賞には、当然、松田聖子と中森明菜以外の歌手も参加し、実際に1984年の日本レコード大賞は五木ひろし(長良川艶歌)の受賞でした。
しかし、ここでは松田聖子と中森明菜の対決を明確にするため、2人以外の歌手の存在を無視し、完全に松田聖子と中森明菜の対決に絞って考察を進めていきたいと思います。
日本レコード大賞の対象期間は前年の11月1日から本年の10月31日までらしく、1984年度の場合、松田聖子の最大のヒット曲は『Rock’n Rouge』となります。
『Rock’n Rouge』は十分にヒットしているのですが、当時はこのような明るい王道のアイドル曲が日本レコード大賞を受賞することが、とても厳しい時代でした。
1984年当時で、アイドル曲が日本レコード大賞を受賞した例は、日本中に大ブームを起こしたピンク・レディー(UFO)の1例しかありません。
かといって『Rock’n Rouge』以外の対象期間発売シングルである『時間の国のアリス』や『ピンクのモーツァルト』が、日本レコード大賞を受賞することは説得力に欠けます。
ですので、1984年の日本レコード大賞は、中森明菜が実際にノミネートした『北ウイング』に軍配が上がるかと思います。
しかし、別の音楽賞では結果が変わるかもしれません。
当然ですが、日本レコード大賞より開催時期の早い音楽賞は、対象の期間が前にズレます。
そうなると、1983年10月28日発売の『瞳はダイヤモンド』も松田聖子の対象曲となるわけです。
『瞳はダイヤモンド』なら大賞相当の賞も十分に狙えるでしょう。
選考時期と発売時期に差がありすぎると、楽曲の印象が薄くなって不利な部分もあるようなので微妙なところですが、『メガロポリス歌謡祭』や『日本テレビ音楽祭』のような夏から秋の初めに開催される音楽賞なら、『瞳はダイヤモンド』で松田聖子は勝負できたはずです。
ちなみに1984年のメガロポリス歌謡祭のポップスグランプリは中森明菜の『サザン・ウインド』、同じく日本テレビ歌謡大賞は中森明菜の『十戒(1984)』が受賞です。
実際に受賞した中森明菜と『瞳はダイヤモンド』で勝負する松田聖子との比較は難しいですが、メガロポリス歌謡祭は演歌部門とポップス部門に分かれていましたし、日本テレビ音楽祭も日本レコード大賞や日本歌謡祭ほど権威主義が強くないので、冒頭に書いたアイドルソングゆえのマイナス面が少なく、松田聖子が『Rock’n Rouge』で勝負するというオプションも含めて、松田聖子のほうが若干有利だったように思います。
結論として、1984年の音楽賞レースは、開催時期の早い音楽賞は松田聖子が有利、開催時期の遅い音楽賞は中森明菜が有利と判断します。
続いて、1985年の音楽賞についてです。
1985年は、松田聖子が結婚せずに、音楽賞レースンに復帰するという仮定の仮定の話になりますが、1985年の中森明菜は『飾りじゃないのよ涙は』や『ミ・アモーレ〔Meu amor é・・・〕』を発売し(『飾りじゃないのよ涙は』は1984年11月14日発売)、日本レコード大賞を獲得した年ですので、松田聖子は、よほどのヒット曲を出さない限り中森明菜の勢いに飲み込まれてしまったものと思われます。
デビュー時の勢いを失っていた当時の松田聖子に、中森明菜の『飾りじゃないのよ涙は』や『ミ・アモーレ〔Meu amor é・・・〕』を超える楽曲を出すことは難しかったはずです。
結果、1985年の音楽賞は中森明菜の勝利と判断します。
松田聖子が結婚・出産で完全休業していた1986年は、もはや何が起こったかを予測することが不可能なので、今回の考察はここまでとします。
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