松田聖子は1984年の音楽賞レースを辞退しています。
まだ人気も十分高かった時期なのに、なぜ辞退という判断に至ったのでしょうか?
少し考えてみたいと思います。
まず、松田聖子は賞レースとの相性が非常に悪いことで知られています。
レコードも売れ人気もあったにも関わらず、音楽賞で大きな功績を残していないのです。
日本レコード大賞の新人賞争いでも田原俊彦に敗れ、獲得した大賞相当の賞は1982年のFNS歌謡祭と1983年の全日本歌謡音楽祭程度と、実績に比べて結果が伴っているとは言えません。
そのため、松田聖子(陣営スタッフを含む)は音楽賞に対して良いイメージをもっていなかった可能性があります。
それ以上に、1984年の松田聖子には、音楽賞レースを辞退しなければならない事情があったかもしれません。
前回の記事で書いたように、1984年のシングルレコードの売り上げで、松田聖子は中森明菜に明確に抜かれています。
本人が、この事実をそこまで気にしていなかったとしても、レコード会社を中心とした周囲のスタッフは相当気にしていたはずです。
レコードの売り上げ枚数というデータは世間的にあまり関心がない指標でしょうが、それを基準に音楽賞争いで松田聖子が中森明菜に敗れるようなことになれば、世間は完全に松田聖子のことを中森明菜に抜かれた過去の存在としてイメージするようになってしまうのです。
ブームが去るときの速度はとても早く、女性アイドルの事例でみても天地真理やピンク・レディーの人気の落ち方はえげつないものがありました。
そのため『中森明菜>松田聖子』という認識が世間に広がれば、松田聖子の人気が一気に落ちてしまった可能性も否定できないわけです。
松田聖子陣営のスタッフは、そうなることを絶対に避けたかったはずですし、現実的にその恐れがあったからこそ賞レース辞退という動きに出たものと思われます。
実際には、松田聖子が1985年に結婚し自らNo.1アイドルの座を降りてしまったので、この問題は1984年の1回しか起きなかったのですが、もしこの状況が続いていたら、その後の松田聖子の活動にも大きな影響を与えたように感じます。
そう考えると、松田聖子が1985年に結婚したことは、中森明菜に抜かれたことを世間に感じさせないようにするファインプレーだったのかもしれません。
クイズ
アンケート
いくら歌唱力が高くても、アイドル歌手としての実績(ヒット曲)がない人は除外です。2024年3月、コンセプトに合わない選択肢を増やすケースが多発したので、対策をした上でアンケートを新しいものに差し替えました。
投票数はリセットされているので、過去に投票した人も再びの参加をお待ちしております。

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