松田聖子と音楽賞に関する一連の記事の中で、松田聖子が実績と比べて音楽賞を獲得できなかったと言及しましたが、この件について当時のアイドル歌謡の状況を少し補足する必要がありそうです。
どうしてかというと、松田聖子の登場前に女性アイドルのトップに君臨していた山口百恵は、松田聖子よりも音楽賞レースに縁がなく、グランプリ相当の賞は1つも獲得していないのです。
山口百恵が、青い性路線に代表される不良少女を題材とした歌詞の楽曲をよく歌っていたため、当時の価値観的に否定的な評価をされたのかもしれませんが、山口百恵は『秋桜』や『いい日旅立ち』のような後世に歌い継がれるような名曲の歌い手でもあり、NHK紅白歌合戦のトリを務めるなど、アイドルを脱却した1人の歌手として世間に認められていた側面もあります。
にも関わらず、たったの1つも音楽賞のグランプリ相当の賞を獲得できていないのです。
音楽賞は自分だけで獲得するものではなく、他の歌手との兼ね合いもありますので、タイミングが合わなかっただけかもしれませんが、山口百恵には少なくとも5年程度のチャンスがあったわけで、1つぐらいグランプリ相当の賞を獲得していてもよさそうに感じます。
実は、松田聖子がデビューする前に女性アイドルが音楽祭の大賞相当の賞を獲得した例は、1978年の『ピンク・レディー』1例しかありません。
1972年に小柳ルミ子が『瀬戸の花嫁』で日本歌謡大賞を獲得していますが、彼女の場合は、アイドル歌手の元祖と言える天地真理より前にデビューしており、そもそもアイドルというより歌謡曲の歌手という感じでした。
『津軽海峡・冬景色』でFNS歌謡祭と日本テレビ音楽祭のグランプリを獲得した石川さゆりも、演歌歌手に転身後のことです。
ピンク・レディーのブームは、データ的に松田聖子の倍以上、感覚的にはもっと大きなブームであり、当時の世間は猫も杓子もピンク・レディーという状況でしたので、アイドル歌謡に否定的な音楽賞審査員も軽々には無視できなかったのでしょう。
男性アイドルにまで話を広げると、1976年に野口五郎が日本テレビ音楽祭のグランプリを獲得。
1979年は、西城秀樹がほぼ全ての音楽賞でグランプリ相当の賞を独占しているのですが、日本レコード大賞だけはジュディ・オングの『魅せられて』に阻まれました。
こういった背景の中で、1982年に松田聖子がFNS歌謡祭のグランプリを獲得しているのです。(1982年は70年代アイドルの岩崎宏美も『聖母たちのララバイ』で日本歌謡大賞と日本テレビ音楽祭でグランプリ相当の賞を獲得)
松田聖子と音楽賞に関する一連の記事の中では、松田聖子が音楽賞に縁がないと否定的な書き方をしましたが、現役の女性アイドルが音楽賞のグランプリ相当の賞を1つでも獲得できたことは、当時としては、むしろ快挙だったわけです。
以上のように、中森明菜が1985年と1986年に日本レコード大賞で2連覇するまでには、アイドル歌謡が徐々に認められてきたという時代背景があり、本人だけの実力で獲得できたわけではないのです。
もちろん、中森明菜がアイドルを脱却しつつある存在にまで成長していたという事情もありますが、中森明菜の登場が5年早かったら、日本レコード大賞を獲得できたかどうかは微妙だったと思います。

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